2024年お正月地震メモ

元日に起きた能登半島を中心とする大地震について、うちで起こったことを忘れないようにまとめておく。

この日は、お昼寝が遅くて16時頃から寝かしつけをした。二人とも寝て、しばらくしたら、家が少し揺れた。別室に分かれていた妻にLINEで、揺れたことを連絡。そのちょっと後に、また揺れが来た。

またか、と思っていたら、揺れがどんどん大きくなってきた。家ががたがたいって、部屋に置いてあるキャビネットの扉が揺れでパカパカ開いた。娘を抱えて立ち上がろうとしたら、揺れが大きすぎて立てなかった。

隣の部屋の妻と妹の方に行ってもまだ少し揺れていた。部屋の外からは、何かが落ちたり、割れたりする音がして、不安になった。

完全に昼寝を中断されたので、双子たちは泣いてしまった。とりあえず、私は一階に降りて何が落ちたのかを確認した。

割れていたのはキッチンのペンダントライトで、揺れた時にレンジフードにぶつかって割れたようだった。ガラスの破片がダイニングテーブルやキッチン台に飛び散っていて掃除が大変だった。ひとまず安全のため、他の場所にあるペンダントライトも全部取り外しておいた。

お昼に作ったお雑煮の鍋のフタが開いていて、ガラスが入った可能性があるので、全部捨てた。ショック!床を念入りに掃除機をかけた。

テレビをつけると、津波警報が出ていて、どうしようかと妻と相談した。窓の外を見ると、近所の小学校に向かって行く人がチラホラ見えた。しばらくして、お義母さんとお義兄さんも小学校に避難しているとの連絡があり、私達家族も向かうことにした。

オムツやミルクなど色々と準備した。防災リュックは玄関に置いていたが、今はそこまで持っていかなくてよいと判断して持って行かなかった。夫婦それぞれ、抱っこ紐で子どもを抱っこして避難所になっている小学校に向かった。

近所には、家の明かりがついていて、家にそのままいる人達も多いようだった。

小学校でお義母さん達に合流した。避難所には結構人が来ていた。実際に津波が来ていたわけではないので、とりあえず避難してきたという感じだった。

だんだんと抱っこしている双子がぐずりだしてきた。普段だったら、離乳食とミルクをあげている時間なので、お腹が空いてぐずっているようだった。荷物の中に湯冷ましを忘れてしまったため、一回家に戻ってミルクだけあげることにした。

家でミルクをあげているときに、また余震があって結構揺れた。ミルクをあげたら子どもたちも満足気で少しご機嫌だった。妹の方は、今はリーメン装具を付けている場合じゃないと考えて、外してあげることにした。

もう一度避難所に行くと、お姉ちゃんの方は抱っこ紐の中でスヤスヤ寝た。妹の方は何故かおめめパッチリでなかなか寝なかった。15分ほどして、お義母さん達はもう家に戻るということだったので、私達も家に帰ることにした。だいたい19時半。周りの人達も帰る人が多かった。

家に帰ったら、お姉ちゃんはそのまま布団に直行して寝た。妹も、しばらく抱っこしてゆらゆらしていたら寝たので、ホッとした。

子どもたちが落ち着いたら、猛烈にお腹が減ってきたので、夕飯を食べることにした。その前に、ダイニング周りを雑巾などでもう一回掃除した。

昼間にお義母さんが、お寿司のパックを差し入れしてくれたので、それを食べることにした。テレビ番組は、全部地震の報道だった。

食べ終わると今度はものすごく眠くなってきた。

次に大きい揺れが来たときに備えて、荷物などを準備した。

風呂に入る元気はないので、顔と足だけ洗ってさっぱりした。

夜は、それぞれ双子の隣で寝た。

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